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ラパス県インガビ群に位置し、ラパス市街から約70kmの距離にあるティワナク(またはティアワナコ)は、ボリビアで最も重要な考古学的遺産との一つです。ティワナク文化は、紀元前1500年から1400年頃に誕生し、西暦1100年から1200年頃に、何らかの原因により*崩壊に至ったと考えられています。
*崩壊に至った原因は、未だ不明のままです。
ティワナク遺跡は、西暦300年頃に築かれたと推定され、一部の建造物は、西暦900年頃になっても未完成のまま残されていたことがわかっています。
ティワナク文化は以下の4つのフェーズに区分されています。
フェーズ1(アルデアノ):紀元前1580年~西暦133年
フェーズ2(ウルバノ):西暦133年~西暦374年
フェーズ3(クラシコ):西暦374年~西暦900年
フェーズ4(エクスパンシボ):西暦900年~西暦1200年
ティワナク文化を築いた先住民の知識と技術に関しては、青銅を知っていたことが特徴であり、それが当時のアメリカ大陸の他の文化に比べ、大きな技術的・軍事的優位性をもたらしたと考えられています。ティワナク文化の影響は、ボリビア北部の熱帯・亜熱帯地域や、ペルーの山岳地帯(とりわけインカ文化)、さらにエクアドルやチリ、アルゼンチンといった国にまで及びます。
ティワナク文化を、”アメリカ文明の母体文化”と称する学者もいれば、”古代の巨大な石の帝国の首都”だと考える学者もいます。イギリス人研究者ジェームズ・アレンは、ティワナクを”プラトン(古代ギリシアの哲学者)が唱えたアトランティス王国の一部”という考えを示しました。
ティワナク遺跡の最も重要な遺跡は次のとおりです。
半地下神殿: ティワナク遺跡の最も優れた建築物の一つで、周囲の地表よりも2m低い場所に建てられています。平面は正方形で、赤砂岩の柱57本を備えた壁に囲まれています。神殿の床に埋め込まれていたのは、ティワナク遺跡最大の人型石像で、『モノリト・パチャママ』または『モノリト・ベネット』として知られています。高さは7m30cmを誇るこの石像は、遺跡内の多くの彫刻と同様に、長方形の一枚岩から彫り出されています。
カラササヤ寺院群:神殿の中で最も印象的なのは、カラササヤ神殿(または、立石の神殿)で、2haの広さを持つ構造物です。砂岩の柱を基礎に、雨水を排水するためのガーゴイル状の装飾や排水口が備えられています。高さ5mの巨大な石で築かれたこの神殿は、長さ126m、幅117mあり、儀式の中心的な場所として建てられました。
アカパナ・ピラミッド:このピラミッドは現在も90%が土に覆われた未発掘のまま残されています。ここは、ティワナク市民の中心地のような象徴的かつ重要な建造物で、天体との関係に基づいて配置されています。この建物は、階段状の七つの平台からなるピラミッド構造で、高さは18m、基底部は一辺が200mあります。
太陽の門:ティワナク遺跡で最も有名で重要なモニュメントは、カラササヤ神殿にある太陽の門です。10トンの安山岩の一枚岩から彫り出されており、高さ3m、幅は約4mあります。太陽の門は、元々はより大きな建造物の一部だったと考えられています。浮き彫り*には、ティワナク文化の宇宙観が表現されており、太陽神の像が両手に鳥と稲妻の形をした杖を持つ姿が表されています。
*絵や模様、文字などが浮き上がるように彫ること。
また、太陽の顔をした人物像が32体、ワシの顔をした人物像が16体あり、この象形文字のような表記や記号は、いまだに解読されていません。しかし、一部の研究者は、これが種まきや収穫の時期を示す「一年の暦」である可能性があると考えています。
プマ・プンク:プマ・プンク(または、プマの門)と呼ばれるこの神殿は、非常に優れた建築技術を誇り、約2haの面積を占めます。完全に土に覆われた建造物ですが、考古学的調査により、ティワナク遺跡に存在する他のどの建造物よりもはるかに洗練され、進化した技術が用いられていることが明らかになっています。特に、石材の扱いに関する完璧さや精密さが際立っています。
場所:ラパス県インガビ群ヌエストラ・セニョーラ・デ・ラパス市
最寄りの都市:ラパス市街から約72km
標高:約3,844m
平均気温:8℃
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